2017.9.29に、私の大事な家族(愛猫)が亡くなりました。
まだ、13歳でした。
大腸癌でした。
かなり早くから辛い、って教えてくれていたのに、助けてあげられませんでした。
検査や手術、入院、辛い思いばかりさせてしまいました。
早期に私が開腹をする決断ができていたら、十分に完治が望めました。
申し訳ない気持ちと、後悔が津波の様に次々と押し寄せてきて、胸が張り裂けそうな思いです。
13年半、まだ大学を卒業してすぐの頃から、いつもそばで支えてくれていました。
辛い事があっても、家に帰ると必ず甘えてくれて、ごはんを食べて、気持ちよさそうに寝て
その姿を見て、触れると癒されて、自然と笑顔になりました。
元々私は、外に出ることが好きでしたが、家に帰ることの方が楽しみになりました。
お腹を出して体をひねらせて寝ている姿を見ると、些細な事でイライラしているのが馬鹿らしく思えました。
夜家に帰ると、車のライトで眼だけが反射して、ただいまの前に笑わせてくれました。
毎日、私の腕を、赤ちゃん猫がおっぱいを飲むようにフミフミして、その後眠りに付いていました。腕がミミズ腫れになっても、可愛くて、我慢しました。
ネズミのおもちゃを投げると、取ってきて私の足元に持って来てくれました。
声を掛けると、ゆっくり目を細め、私が自分の膝を叩いて合図すると、膝に乗ってきてくれました。
頭をコツン、と私に押しつけて甘えてくれました。鼻同士の挨拶は、冬は静電気がくるので、お互い若干ためらいながらそれでも毎日ただいまの挨拶をしました。
歯磨きも上手にさせてくれて、自慢の歯でした。目指せハタチ!いや、25歳!が目標でした。叶えられるような気がしていました。。
一度だけ、引っ越し後に膀胱炎になってしまいましたが、11年間、健康そのものでした。
私より先に死なないでね、と冗談でもよく言っていました。
何に変えても、守りたい存在でした。
今でも、まだ受け入れられません。自分が許せません。
部屋にはまだあの子の黒い毛がたくさんあります。正直、その毛を掃除することもなかなかできません。
少し前まで膝の上で丸くなっていつまででも寝ていたのに、、
たまらなく会いたくなります。あの時ああしていたら、まだここに居てくれたかもしれない。
あの時、膝から降ろさずに、気が済むまで寝させておけばよかった、あの時、少しくらい遅れたって、もう少し一緒に寝てあげればよかった、あの時、学会になんて行かなければよかった、あの時、病院に連れて行かず、家でゆっくりさせてあげればよかった・・・
でも、いつまでも泣いてばかりいても、一生懸命生きたこの子に申し訳ないです。13年半与えてくれた思い出に感謝して、笑顔でいたいと思っています。
大事な家族を失った悲しみは、言葉にならない位辛く、苦しく、また動物だからこそ、自分のしてあげた事は正しかったのか、こんな事しなければよかった、この子は幸せだったのだろうか、と思い悩むことも多いのではないかと思います。 私も、我が子を助けてあげられず、自分なんかが診療続けていていいのだろうかと思う事もあります。それでも、大事な家族を失った気持ちは十分に理解することができます。ご家族が、なるべく後悔されないように、そして、何より病院での治療に罪悪感を感じてしまわないように、できる限りの事はしたいと思っています。それは、常々考えていたことではありましたが、愛猫を失って、自分自身が色々な後悔をしたことで、その思いはさらに強く、より具体的になりました。この気持ちは、愛猫が残してくれたものです。だから、もう少し頑張ろうと、微力でも、この子にこうしてあげられてよかった、と思っていただけるような獣医療を提供しなければと思います。
そして、愛猫の闘病中は、本当にいろいろな人に支えられました。一緒に治療をしていただいた先生方と看護師の皆様、何より、一番近くで何の不満も言わずにわがままを聞いてくれた当院のスタッフ達、辛い本音を聞いてくれた友人、お見舞いに来てくれた家族、愛猫の痛みや苦しみを和らげてくれたお薬、大好きなおやつ、心地のよい毛布、辛い時でもおいしく食べられたあったかい差し入れのお弁当・・・本当にたくさんの人や物に支えられて、闘病生活を送ることができました。普段は気付かなかったけれど、こんなにも私達はいろいろな物に支えてれているという事に気付くことができ、感謝することができました。これも、愛猫が教えてくれました。
まだまだ後悔や、辛い気持ちが大きく、これは一生消えないのかもしれませんが、それでもやっぱり私はあの子と出会えて、一緒に暮らすことができてよかったです。本当に、数え切れないほどたくさんの事を残してくれました。
どうしても、辛い事や、後悔の気持ちが先立ってしまいますが、精一杯生きたその姿に、私達は悲しみ以上の喜びや幸せを与えてもらっているはずです。
渡邊